大水害を目の当たりにして思うこと。
古事記は、日本人に大切なこころを書いている名著だと思う。はじめに書かれている国生みのはなしは、正に「治水」のこと。
治水、つまり河川をつくることは、人間がはじめに行った自然破壊であって、人間が人間として生きていくための文明開化の象徴。治水は、人手がいる。また、治水こそ、人類はじめての公共事業であり、そこに国王など階級や国や村の単位や概念が生じるキッカケであったはず。
日本人は、今一度、古事記を学ぶではなく、古事記に学ぶべきである。なぜ、古事記は治水から記したのか。「こんな水害ははじめてだ」という被災者コメントをよく耳にするけど、そうではない。日本中、氾濫の歴史。
あと、この舞台は、福岡の小呂島、能古島、次に玄界島横の柱島のストーリー。
以下あらすじ。
伊邪那岐、伊邪那美の二柱の神は、別天津神たちに漂っていた大地を完成させるよう命じられる。別天津神たちは天沼矛を二神に与えた。伊邪那岐、伊邪那美は天浮橋に立ち、天沼矛で渾沌とした大地をかき混ぜる。このとき、矛から滴り落ちたものが積もって淤能碁呂島となった。
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