今年の出生数が、90万を割り込むというニュースを先月見たばかりでしたが、昨日の日経報道によると、さらに下方修正され、88万人を割り込む見通しだそうです。死亡者と合わせると、年間に人口が100万人減で、これはあの大東亜戦争で亡くなった方の半数が毎年減っていくことになります。本当に大惨事です。
これってかなりヤバイことです。高齢化で、将来の医療や介護にかかる財政支出は、増大の一途なのに、税を納める側の将来の労働者は半減って、ハッキリ言ってこのまま無策ならお先真っ暗です。
わたしが生まれた1980年の出生数を調べてみると、今の倍近くの子どもが生まれていたことがわかります。
もう桜を見る会の茶番国会なんかする前に、この国難に立ち向かう議論をして欲しいと一国民として思うのです。
「3人目を産もう」という発言をした議員が過去に追及された事例があり、結局のところ抜本的な対策は先送りにされたままで、今やっている少子化対策は子育て対策ばかりで、子づくり対策が出来てないのではないでしょうか。3人目以降の子どもを産む方に、1000万円の補助金を出す、原資は20年債など強烈なメッセージが必要に思います。
さらにやるなら、過去に、『損する結婚 儲かる離婚』(新潮新書)の著者・藤沢数希氏の本を読んだことがあるのですが(深い意味はありません)、わたしは一夫多妻、多夫一妻を認め、金持ちの富の再分配をも同時進行していくべきでなかろうかと思うのです。もちろん一夫一妻を否定するものでもなく、それは選択肢として双方が認め合う環境づくりが政治ではないでしょうか。今の政治家に、思うのは、『「炎上」の先を見よ』ということ。そんな強烈なメッセージが政治から聞かれるのは、太陽が沈んでからでは遅い!
最後に、ある実験の話を紹介したいと思います。
まず、部屋に5匹の猿を入れる。
部屋の中に梯子が設置されており、登ると梯子上のバナナを手に入れることが出来る。しかし猿がハシゴを登ると、登らなかった残りの猿に水が降り注ぐようになっている。
しばらくすると、猿達は水をかけられまいと、ハシゴを登る猿を攻撃するようになる。すると、どの猿たちも段々と梯子を登ろうとしなくなった。
そして、元々いた5匹のうち1匹を新しい猿に置き換える。新しい猿は、ハシゴとバナナを発見する。なぜ他の猿がバナナを取らないのか疑問に思うが、新しい猿はハシゴを登ろうとする。すると他の猿達は新しいの猿を攻撃する。新しい猿はなぜ攻撃されたのか理解できないが、攻撃されない為にハシゴを登ることを諦める。
同様に、さらにもう1匹新しい猿に置き換える。新参者の猿はハシゴを登ろうとして攻撃される。前に攻撃された新しい猿も、他の猿がやっているため今回の猿を攻撃する。だが何故ハシゴに登ろうとする猿を攻撃するのか理由を理解していない。
このように5匹の猿を置き換えていき、5回目に元いた猿は全員部屋からいなくなる。部屋に居る猿は水を浴びせられたことはないが、ハシゴに登ろうとする猿もいない。全ての猿は何故こんなことをしているか分からないまま、ハシゴに登ろうとする猿が現われると攻撃する。
そして残るは「ハシゴに登ったら攻撃する/ハシゴを登ったら攻撃される」という、規則が生まれた理由も、規則を守る理由も分からぬまま守られ続ける形骸化した規則である。
人間の規則も同じではないかと思うことが多々ある。
例えば、明治以降に出来た婚姻制度
例えば、学生時代に違和感あった校則
例えば、人口増大期につくられた年金ルール
例えば、モータリゼーション初期につくられた道交法
例えば、公職選挙法
例えば、皆さんの社内ルール
例えば、各種業界に残る慣例や規制
例えば、、、考えてもキリがないです。
で、思うのは、今こそ「炎上の先を見よ」ということ。SNSは、個人が情報発信できるツール。でも、そこには、炎上のきっかけになり得るキッカケがたくさんあって、一方では、炎上は、社会が問題に気づくという意味で、チャンスともいえる。
別に炎上商法を煽っているわけではなくて、その先にあるものを見据えた、社会を・・・・攻撃される猿のように、理想を語っていななくちゃですね!
最後まで長文読んでいただき、ありがとうございました!
この記事へのコメントはありません。