近年、日本国内の米価格が高騰を続けています。そんな中、8月にニュージーランドで目にした光景に衝撃を受けました。日本米が1キロ300円(5キロ1500円)で山積みされていたのです。物価が高いことで知られる同国でさえ、この価格設定には驚かされました。

この背景には、日本政府の農業政策があります。輸出用の米を生産する農家には補助金が支払われ、作付け時点で国内向けと海外向けの米が仕分けされています。この制度により、少なくとも今後1年間、国内の米価格が高止まりする見通しです。「新米が出回れば価格が大幅に下がる」という期待は、現実にはあまり意味を持ちません。
さらに問題なのは、海外市場向けの米の生産に日本の税金が投入されている一方で、日本の消費者が高額な米を購入せざるを得ないという不均衡な状況です。この構図には違和感を覚えずにはいられません。
このような状況を見て、かつて歴史探究家の井上政典さんから学んだ「渇え殺し」を思い出しました。豊臣秀吉が鳥取城を包囲し、兵糧攻めで住民を飢えさせたという戦術です。現代の米政策も、一般の日本国民を「兵糧攻め」にしているように映ります。
この問題に対し、現在の政治家たちはどのように向き合っているのでしょうか。最終的に、この政策を決めたのは国民が選んだ政治家です。私たちが無関心でいる限り、海外補助金によって需給が歪んだ高価な米を買い続けることになるのです。
政治家は、9月から来年にはコメの価格が下がると言っていますが、全く市場の理論を理解しておらず、無責任すぎます。知識のない政治家ばかりでは国は衰退してしまいます。今こそ、経済を理解している政治家を国民が選ぶべきです。

そんなことを考えながら、政府が消費者物価指数を発表し、日本銀行が金融政策の維持を決定した夜、私は安い「米」焼酎・白岳を飲んでいました。政治と経済の歪みを実感しながら、一杯の焼酎が妙に沁みる夜でした。

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