SNSを中心に、世界はますます分断へと向かっているように感じます。意見の違いが、対話ではなく対立を生み、違いを理解する前に、切り捨ててしまう空気が広がっている。だからこそ、いま一度、立ち止まって考えたいと思いました。
私たちは、どんな日本を次世代に遺していくのか。
「受け入れ、融合する」民族としての日本
日本人とは、本来「受け入れ、融合する」民族だったはずです。
古来、日本は多神教の世界観のもと、渡来人や異文化を排除するのではなく、生活や思想の中に自然に取り込んできました。
仏教は神道と対立することなく神仏習合として共存し、儒教は家族観や道徳観として社会に溶け込み、鉄器、文字、土木技術といった文明の要素も、自らの糧として咀嚼してきました。
一時期、鎖国という選択をしたこともあります。それは異文化を拒んだのではなく、秩序と独立を守るための戦略的な判断だったのだと思います。
限られた窓から世界を見つめ続ける。そこにも、日本らしい柔軟さがあったのではないでしょうか。
融合の先に築かれた近代日本
明治維新以降、日本は西洋の民主主義や近代国家の仕組みを、そのまま模倣するのではなく、自国の文化と調和させながら取り入れてきました。
議会制度、憲法、教育、産業。それらはすべて、「異なるものを排除せず、取り込む」日本独自の融合の成果だったように思います。
曖昧さではなく、矛盾を包み込む強さ。それこそが、日本文化の本質なのではないでしょうか。
神と仏が共にある風景の中で
本日、早良区西の廣瀬地区にある三社宮 にて執り行われた、不動明王の護摩焚きに参加させていただきました。神道の社で、密教の神仏である不動明王が祀られ、修験の作法によって焚かれる炎。そこには、まさに神仏習合の原風景が、静かに、しかし確かに息づいていました。
神も仏も、人が自然と共に生きるための存在であり、信仰のかたちは一つではない。
護摩業と神楽奉納が交わり、集った人々が、それぞれの願いを静かに捧げる光景の中で、日本が長い時間をかけて育んできた「共存」の感覚を、あらためて実感しました。
分断を超えて、未来へ
SNSに広がる分断の風潮の中で、私たちは何を選び、何を守るのか。この柔らかな共存の空気を、どうすれば次世代へと手渡していけるのか。
大きな答えは出なくても、一人ひとりが自分の足元から考え続けること。その積み重ねが、未来のかたちをつくっていくのだと、静かに感じています。












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