壮一郎オフィシャルブログ

大水害と早良区の歴史

福岡県と佐賀県の豪雨被害、これは日本の神話の中にしっかりと受け継がれる記載がありますので、紹介します。
稗田阿礼が書いたとされる現在確認される日本最古の歴史書「古事記」は、何となく歴史の教科書で知っている方も多いかと思います。そして、神話だから、史実ではないと思っている方もいるともいますが、ダヴィンチコードならぬ「古事記の暗号」コードを読むことは、災害が頻発するいまこそ重要であると思い書きます。
まず、素戔嗚(以下スサノオ)の八岐大蛇を退治する大水害を揶揄する神話ですが、その舞台は間違いなく福岡市早良区の伝承です。理由として、稗田阿礼は、今でも糸島に多い稗田氏のご先祖で、大和朝廷を肯定する歴史書の編纂を命じられた際に、その九州にその以前から王朝があった史実を暗号として、多数残しているものと思われます。まさに、古事記コードです。
スサノオが肥上河の鳥髪の地にたどり着き、大山津見神の子の櫛名田姫と知り合うことからはじまります。定説では、出雲の斐伊川とされますが、わたしは、雲が出づる背振山の麓にある福岡市のよく氾濫を起こす樋井川の鳥飼にたどり着いたものと考えます。大山津見神を祀る神社は、早良区の曲淵と脇山に点在し、櫛名田姫を祀るのは、早良区野芥の野芥櫛田宮があります。出雲にはこれらの神社がありません。また、あらぶる山(油山)も荒江も荒津、荒戸もよく荒れていたことが地名に残っています。この早良の地の治水を行い、またその後に櫛名田姫とスサノオは、雲が出づる背振山を超えて、佐賀県小城市にある八重垣に囲まれたスサノオを祀る須賀神社(佐賀の地名の由来)、その真東にある卑弥呼伝説ある吉野ケ里遺跡神崎市の櫛名田姫を祀る櫛田宮に陣を構えた伝承がそのまま残っているのです。今でもグーグルマップでこの2つの神社の間だけ、直線に近い旧道が残っています。
ですので、出雲には大水害の歴史はなく出雲神話にも八岐大蛇の記述は残っていないばかりか、福岡の早良区の地名にはその名残があり、また早良区の石釜に鳥飼氏、糸島に稗田氏が多くいらっしゃることや、神社の祀る神として残っているのです。興味深いのは、博多の櫛田宮は、佐賀県の神崎(旧神幸)の櫛田宮を勧請したと記録されていますが、その佐賀県の櫛田宮の参拝方角には、野芥櫛田宮があるのです。また、そのすぐそばに西油山古墳群と海神社が祀られています。
どこか遠い歴史ロマンですが、これがこの早良区一帯の大水害の歴史として記録されていることを、古事記コードとして、多くの方に知ってほしいと思います。
#歴史ロマン #古事記 #九州王朝 #早良区

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