壮一郎オフィシャルブログ

「天岩戸隠し」は福岡の甘木だった!?

全日本、古事記ファンの皆さんこんにちは(笑)

昨日、皆既月食があったので、日食の伝来と言われる古事記の「天岩戸隠し」を再読していて、気付いたことがありシェアします。

そもそも古事記を編纂した稗田阿礼の稗田性とは、福岡県糸島市に集中する性。

わたしは、九州王朝の神話に詳しいその稗田氏が、近畿の天皇に命じられて、近畿王朝版で古事記を編纂した際に、近畿王朝が隠そうとした九州王朝を示す暗号を、古事記に多数盛り込んだのだろうという視点で、古事記を読むようにしています。

で、本題ですが、天岩戸神話に出てくる、天照大御神が天岩戸に引き篭ったあとに、八百万の神々が天の安河の川原に集まるシーン。

天の〇〇は、北部九州の島々の別名でもわかるので、〇〇の部分の安河に注目して、ネットで安川と安河と、安河内の苗字を調べてみました。

そうすると、全国TOPレベルで福岡県の旧夜須町である筑前町と、福岡県粕屋町に集中していることが判明。

どちらも安河の安を連想させる夜須高原の裾部分。苗字の由来が地名というケースも多いので、もしかしたら天岩戸神話の安河は、旧夜須町付近なのかな?

調べてみると、福岡県旧甘木市に夜須川(安川)あり、また、「安川」という地名があるじゃないですか!

周辺にも古事記の舞台が多数あります。

奈良の三笠山は、御笠川の源流の宝満山の別名が御笠山であることからも、福岡の地名ごっそりまるままコピーではないかと思うところばかりです。

しかも、御用達、御所、御陵、御称号と天皇陛下にまつわるところに、「御」を用いるので、太宰府に九州王朝があり、水城で守り、鴻臚館がまさにその玄関だったのではと想像しています。

数年前、太宰府にいたら、三笠宮彬子様がお忍びで来られていましたが、後に調べてみて、三笠宮の名は、阿倍仲麻呂の「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」という和歌からとられたことが分かりました。

ここに、天の原という「天安河原」も出てくるという不思議な感じです。あと、春日山もあり、桜井という地名や、関西で見ると伊勢志摩と、伊都志摩などもまるで福岡です。その他にも、京都の賀茂神社の葵祭は、背振山の葵祭が源流とはっきり記録されていますが、福岡に原型がないので、色々と探索しています(笑)

以上、全国古事記ファンに向けた投稿でした!

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