壮一郎オフィシャルブログ

古代史でみる早良と野芥の話

野芥櫛田神社の十日えびすと、マニアックな古代史ロマンな話。

福岡市には、櫛田神社が3つあります。
1、 博多区の櫛田神社
2、 城南区荒江の荒江櫛田神社
3、 早良区野芥の野芥櫛田神社

社格として格式高いのは、佐賀県神埼にある櫛田宮ですが、その櫛田宮の参道から御神体を結ぶ線上にあるのは、野芥櫛田神社というのは何か偶然とは思えないロマンを感じます。

櫛田神社が祀る櫛稲田姫(クシイナダヒメ)のことについて、古事記の記述をみると、須佐之男(スサノオ)が斐伊川(ヒイカワ)の鳥髪(トリカミ)から川の上流に行った際に出会うのが、櫛稲田姫で、大山祇(オオヤマツミ)の孫。荒ぶる山地からの大水害から地域を守ったという話が、八岐大蛇退治の神話。

で、気になるのが、古代の福岡市の状況で、荒戸、荒津、荒江、荒平山と、荒れていたことを示す地名と、野芥という地名が油山の土砂災害で「抜け」たことで、野芥(ノケ)となったという由来。

これって、樋井川の鳥飼から上流域に向かった須佐之男が、野芥で姫と出会って、治水事業をやって、早良区小笠木とか曲淵に多い、大山祇神社を抜けて、雲が出づる背振山を超えて、佐賀県小城の八重垣に囲まれた須佐神社と、神崎の櫛田宮に移り住んだという話ではないのかってロマンな話。

こんな郷土の歴史をもっともっと多くの方に知ってもらえると、ロマンあっていいなって投稿です。マニアックですみません。

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