令和元年9月18日、大嘗祭の「斎田」が、栃木・高根沢と京都・南丹に決まったと、宮内庁より発表がありました。
実は、福岡市にも、早良区脇山に昭和天皇に大嘗祭で米を献上した主基斎田跡があります。脇山小学校に通ていた私は、よくその近所の川で遊んでいました。
ネットで、大嘗祭悠紀主基斎田を検索していたところ、福岡県立図書館の映画フィルム「大嘗祭悠紀主基斎田」にたどり着きました。
「古事記日本神話の故郷は玄界灘の島々だった!」著者のペンネーム淤能碁呂太郎さんとは、仲良くさせていただいておりまして、その彼と話をしていると、この脇山の昭和初期に建てられた主基斎田の御鳥居の方角に、姫島があり、姫島の産の穴、豊玉姫誕生伝承がある場所に向けての祭祀ではないかと伺ったことがあります。
私は、福岡市早良区脇山の谷口という集落で幼少期を過ごしたのですが、この地は福岡平野が扇状地であることと、その扇状地の起点となっているポイントです。当然、稲作が大陸から伝わり、最初にはじめられた場所河口付近ではなく、扇状地の上流ということは想像がつくことで、お茶の伝導もこの地であるということからも伺うことができます。
また、この地には、十二社宮があります。実はここ、私が小学校2年制の頃に、南北朝時代の北朝通貨を発掘した場所で、私の歴史に興味を持たせた場所のひとつ。また、谷口で幼少期お世話になった近所のおじさんのところに、あいさつに行こうと思う。
私の話を取り上げてくださって、ありがとうございます。
岩本さんからの情報で、始めて気がつくことも多々あります。
これからもよろしくお願いいたします。
ひとつ、修正を。
早良の主基斎田が向いているのは、相島ではなく、姫島です。
姫島の産の穴、豊玉姫誕生伝承がある場所に向けての祭祀ではないかと考えています。